第14回 なぜ、間違った地図でも生き抜けたのか ——ビレッジ戦略を支える「偶有性」と「行動変容」の理論
冬のスイス・アルプス山脈。
ハンガリー軍の偵察隊が、猛吹雪のなかで完全に道を失った。
ベースキャンプで待つ中尉は、部下たちを死なせてしまったと、ほとんど覚悟を決めていたそうです。
ところが3日後、偵察隊は全員、無事に生きて戻ってきました。
中尉が「どうやって帰ってきたんだ」と尋ねると、隊員はこう答えました。
「完全に道に迷い、誰もが死を覚悟していました。でも、隊員の一人がポケットから1枚の地図を見つけたんです。それを見て、みんな冷静さを取り戻しました。『これがあれば帰れる』と勇気が出て、吹雪の中を進むことができたんです」
中尉が、その命の恩人である地図をよく見てみると、驚くべきことが分かりました。
その地図は、彼らがいたアルプス山脈の地図ではありませんでした。
フランスとスペインの国境にある、まったく別の山脈――ピレネー山脈の地図だったのです。
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地図は、間違っていました。
それでも、隊員たちは生還しました。
この話は、経営学や組織論の世界で「センスメイキング理論」を説明するときによく語られる逸話です。
ここで重要なのは、彼らが「正確な地図を持っていたから生き残った」のではない、ということです。
地図は不正確でした。
けれど、その地図が「これがあれば進める」という納得を生みました。
納得が生まれたから、彼らは足を動かしました。
足を動かしたからこそ、実際の地形、風向き、雪の状態、空の明るさ、山の傾きといった情報を拾い始めることができました。
つまり、最初から正解があったのではありません。
行動したから、現実との接点が生まれた。
現実との接点が生まれたから、修正ができた。
修正を続けたから、生き残る道が見えてきた。
経営学者カール・ワイクは、このようなプロセスを「センスメイキング」として説明しました。
不確実な状況では、人は先にすべてを理解してから動くのではありません。
むしろ、まず動く。
動くことで状況を理解し、意味をつくり、次の行動を選び直していく。
これが、センスメイキングの大事な考え方です。
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この話は、私自身が13年かけて育ててきたビレッジ戦略の歩みと、驚くほど重なります。
2012年、グリーン雑貨店は「住宅受注を支援するための集客装置」として始まりました。
当時、完璧な事業計画があったわけではありません。
グリーン雑貨店を持てば、どのくらい住宅反響が増えるのか。
来店客のうち、何人が住宅相談に進むのか。
地域との関係性がどのように育つのか。
スタッフの意識がどう変わるのか。
そのすべてを、最初から正確に読めていたわけではありません。
いま振り返れば、あの最初の店は、いわば不完全な地図でした。
それでも、「これがあれば前に進める」という確信を持って、まず店をつくりました。
そして、その後、さまざまな地域の住宅会社や工務店が、それぞれのタイミングでこの考え方に参画してくれました。
ある会社は数年前から。
ある会社は最近になってから。
地域も、会社の規模も、経営課題も、それぞれ違います。
けれど、それぞれの現場で動き始めたからこそ、当初は想定していなかった価値が見えてきました。
それが、関係資本であり、文化資本であり、感情価値であり、偶有性です。
最初から、これらをすべて設計できていたわけではありません。
私自身が13年かけて現場を見続け、参画企業それぞれが自社の地域で実践し続けるなかで、ビレッジ戦略という考え方は少しずつ形を変え、深まってきたのです。
動いたから、見えてきた。
続けたから、意味が生まれた。
現場で起きた出来事を読み解き続けたから、ビレッジ戦略という考え方に育っていったのです。
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これは精神論ではありません。
経営戦略の世界では、こうした考え方は「創発的戦略」と呼ばれます。
戦略には、最初から綿密に計画されたものだけでなく、行動の中から事後的に形を成していくものがあります。
有名なのが、ホンダのアメリカ進出の事例です。
当初から完璧な市場戦略があったわけではありません。
現地での試行錯誤のなかで、小型バイク「スーパーカブ」への反応が生まれ、そこから後に語られる成功戦略が形づくられていきました。
つまり、戦略は机上で完成するものではありません。
現場に出て、動き、反応を見て、修正し、意味づけ直す。
その繰り返しの中から、事後的に戦略が立ち上がってくるのです。
ビレッジ戦略も同じです。
最初から完成された理論があったのではありません。
現場が先にありました。
店が先にありました。
来店が先にありました。
会話が先にありました。
その積み重ねの中から、「これは単なる集客装置ではない」と分かってきたのです。
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では、動くと何が起きるのでしょうか。
ここで大事になるのが「偶有性」です。
偶有性とは、簡単に言えば、思いがけない出会いや、予期していなかった出来事のことです。
私は、この偶有性をとても重要視しています。
たまたまを、意図的に起こす。
二度とない偶然を、セレンディピティとして起こす。
それが、ビレッジ戦略の大きな狙いの一つです。
ただし、偶有性は神秘的なものではありません。
運がいい人だけに降ってくるものでもありません。
むしろ、確率の問題として捉えた方が正確です。
グリーン雑貨店を開く。
毎日お客様が来る。
植物を買う人がいる。
犬の散歩の途中で立ち寄る人がいる。
カフェで友人と話す人がいる。
イベントに参加する人がいる。
スタッフと少しだけ会話する人がいる。
このような接点の量が増えるほど、思いがけない出会いが起きる確率は高くなります。
ガチャを1回しか回さなければ、レアなものに出会う可能性は低い。
でも、100回、1,000回、10,000回と回していけば、レアな出会いが混ざってくる。
少し乱暴なたとえですが、確率論としては非常に近いものです。接点の試行回数を増やすことで、通常では出会えない関係や機会に出会う確率を高めていく、ということです。
経営における偶有性も、これに近いものです。
もちろん、ただ回数を増やせばよいわけではありません。
世界観のある場所で、良い体験を積み重ねながら、接点の量を増やす。
そこに意味があります。
ビレッジ戦略とは、言い換えれば「レアガチャを掴みにいく経営」です。
偶然を待つのではない。
偶然が起きる場をつくる。
偶然が起きる回数を増やす。
偶然が起きたときに、それを価値として受け取れる状態をつくる。
それが、たまたまを意図的に起こす経営です。
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この偶有性は、やがて「弱い紐帯」として地域に広がっていきます。
弱い紐帯とは、家族や親友のような強い関係ではなく、ゆるやかなつながりのことです。
たとえば、何度か店に来たことがある人。
スタッフと少し話したことがある人。
イベントで顔を合わせたことがある人。
犬の散歩で前を通る人。
植物を買ったことがある人。
まだ住宅相談には来ていないけれど、その会社の空気感を知っている人。
こうした弱いつながりは、一見すると小さく見えます。
しかし、強い関係だけでは情報も紹介も同じ範囲の中に閉じてしまいます。
弱い紐帯は、別の世界への橋になります。
住宅会社にとって、これはとても大きい。
なぜなら、住宅相談は、いきなり発生するものではないからです。
最初は、ただの来店かもしれません。
ただの植物購入かもしれません。
ただのカフェ利用かもしれません。
ただのイベント参加かもしれません。
けれど、その小さな接点が積み重なり、弱い紐帯となり、やがて「この会社、なんとなく良さそうだ」という認知に変わっていきます。
この「なんとなく良さそうだ」は、軽く見てはいけません。
住宅のような高額で不確実性の高い意思決定において、人は完全に合理的には判断できません。
最後は、信頼できそうか。
自分たちの価値観に合いそうか。
この人たちに任せても大丈夫そうか。
そうした感情を含んだ判断が、とても大きな意味を持ちます。
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ここで、心理メカニズムの話に入ります。
ビレッジ戦略が効く理由は、単に「人がたくさん来るから」ではありません。
人の心の中で、時間をかけて認知と感情が変化していくからです。
この心理メカニズムには、大きく分けて2つの時間帯があります。
一つ目は、蓄積期です。
繰り返し接触することで、相手への親近感が高まります。
これは心理学で「単純接触効果」と呼ばれます。
何度も見る。
何度も来る。
何度も会う。
それだけで、人は少しずつ安心感を持つようになります。
そして、その接触が良い体験と結びつくと、ただの認知ではなく「善い認知」になります。
この会社は、なんとなく感じがいい。
この場所は、居心地がいい。
このスタッフは、話しやすい。
この世界観は、自分たちに合っている。
こうして、お客様の中に「世界観が一致する企業」というイメージが蓄積されていきます。
これは、目に見えない関係資本です。
まだ住宅相談にはなっていない。
まだ見積もり依頼にもなっていない。
でも、お客様の心の中には、すでに関係の下地ができている。
これが蓄積期です。
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二つ目は、使用期です。
住宅を考えるタイミングが来たとき。
外構を相談したいと思ったとき。
リフォームを検討し始めたとき。
その瞬間に、過去に蓄積された感情が使われます。
家づくりとは直接関係のない体験だったとしても、そこで生まれた善い感情は、意思決定の場面で転用されます。
たとえば、グリーンショップで楽しい時間を過ごした。
子どもがイベントで喜んでいた。
ドッグランで犬が楽しそうに走っていた。
スタッフが親切だった。
植物を選ぶ時間が心地よかった。
論理的に考えれば、それらは住宅性能や施工品質とは直接関係がありません。
でも、人間の意思決定は、完全に論理だけで動いているわけではありません。
善い感情は、信頼感に変わります。
信頼感は、相談のしやすさに変わります。
相談のしやすさは、行動に変わります。
「この会社に一度聞いてみよう」
「ここなら相談してもよさそうだ」
「この人たちに頼みたい」
その行動が生まれる。
ここが、ビレッジ戦略の心理的な出口です。
結局のところ、感情が動けば、それは行動になります。
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つまり、ビレッジ戦略の心理メカニズムは、こう整理できます。
繰り返し会う。
親近感が生まれる。
良い体験が重なる。
世界観が一致する企業として認知される。
その認知が、関係資本として蓄積される。
そして、意思決定の瞬間に、その感情が使われる。
最後に、行動が生まれる。
この行動とは、単なる購買だけではありません。
相談する。
紹介する。
イベントに参加する。
SNSで投稿する。
家族に話す。
見学会に行く。
資料請求する。
スタッフに声をかける。
そのすべてが、行動変容です。
ビレッジ戦略とは、動いた心を、実際の行動に変換する場所なのです。
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ここまで見てくると、ビレッジ戦略の本質が少し違って見えてきます。
グリーン雑貨店は、単なる物販店ではありません。
カフェは、単なる飲食店ではありません。
ドッグランは、単なる付帯施設ではありません。
イベントは、単なる集客施策ではありません。
それらはすべて、偶有性を生み、弱い紐帯を増やし、善い認知を蓄積し、感情を行動に変えるための装置です。
住宅会社にとって、完成見学会や広告はもちろん重要です。
しかし、それだけでは出会えない人がいます。
まだ家を建てる気がない人。
まだ相談するほど悩みが明確ではない人。
住宅会社に行くのは少し怖い人。
売り込まれたくない人。
でも、植物なら見に来られる。
カフェなら入れる。
犬と一緒なら立ち寄れる。
イベントなら参加できる。
この入口の広さが、ビレッジ戦略の強さです。
売り込む前に、出会う。
相談される前に、好きになってもらう。
必要になる前に、思い出してもらえる存在になる。
それが、選ばれるための関係づくりです。
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ここまでは、住宅会社の話として書いてきました。
ですが、この理論が機能する範囲は、住宅業界だけに限りません。
偶有性を意図的に起こす場をつくる。
弱い紐帯を地域に増やす。
感情を行動に変える。
これは、まちおこしや地方創生に関わる方、公共空間の使い方を考える行政の方、そしてこうした現象を研究されている大学関係者にとっても、同じ構造で当てはまる話だと思っています。
小さな店が一つできることで、人の流れが生まれ、関係が生まれ、やがてその場所自体の価値が変わっていく。
これは、地域のマーケットや公共空間の活用、民間施設が地域の交流拠点になる現象とも、根は同じです。
住宅を売るための理論として読むこともできますが、人と地域の関係を、意図的にどう設計するかという理論として読んでいただいても、同じものが見えてくるはずです。
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吹雪の中で、間違った地図を手にして歩き出した偵察隊。
集客装置という不完全な地図を信じて、13年このテーマを追い続けてきた私自身。
そして、それぞれの地域で、自社なりの一歩を踏み出してきた参画企業の皆さん。
そこに共通しているのは、完璧な正解を待たなかったことです。
まず動いた。
動いたから、現実と出会った。
現実と出会ったから、修正できた。
修正し続けたから、新しい意味が生まれた。
ビレッジ戦略も同じです。
最初からすべてを正確に読める必要はありません。
むしろ、不確実だからこそ、場をつくる意味があります。
接点を増やす意味があります。
偶有性を起こす意味があります。
量は、やがて質を変えます。
量は、思いがけない変化を生みます。
量は、関係を生みます。
量は、文化を生みます。
そして、感情が動くと、行動が生まれます。
たまたまを意図的に起こす。
二度とない偶然を、セレンディピティに変える。
そのための場が、ビレッジ戦略です。
業界の方でなくても、この理論やビレッジ戦略という実践そのものにご興味を持っていただけたなら、これからの記事もぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
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参考にした理論の位置づけです。
センスメイキングは、組織のメンバーが不確実な出来事に意味を与え、納得を形成して行動につなげる理論として説明されています。アルプス/ピレネーの地図の逸話はこの文脈でよく使われますが、出所や史実性には批判的検証もあります。
弱い紐帯は、マーク・グラノヴェッターの1973年論文「The Strength of Weak Ties」に基づく考え方で、強い関係の内側だけでは届かない情報や機会が、ゆるやかな関係を通じて広がることを説明する理論です。
単純接触効果は、ロバート・ザイアンスの研究で知られ、繰り返し接触するだけでも対象への態度が好意的になりやすいという考え方です。
「感情が判断に使われる」という部分は、意思決定研究でいうaffect heuristic、つまり感情ヒューリスティックに近い考え方です。人はリスクや便益を判断するとき、論理だけでなく、その対象に抱く感情を手がかりにすることがあります。
「感情・認知が行動につながる」という出口は、計画的行動理論にも接続できます。態度、主観的規範、行動統制感が意図を形成し、意図が行動に結びつくという枠組みです。
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第2回:なぜ植物の店が、住宅相談につながるのか
第3回:住宅会社が比較される前に選ばれる理由
第4回:会社に、文化が宿るとき――4つの資本が循環する話
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第6回:探索と進化――動きながら住宅受注の勝ち筋をつくる
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第12回:グリーン雑貨店は、やはり住宅受注につながっていた――実数で見るビレッジ戦略の効果
第13回:なぜ今、「知っている工務店」から家を買いたいのか――住宅業界の構造変化とビレッジ戦略
真崎 健(まさき たけし)
株式会社エスティナ/株式会社Birth&Rebirth
代表取締役
ビレッジ戦略提唱者